非常識裁判官
6月6日独り言


今日は皆さん、お勉強の時間です。

裁判官、かなり一般常識がないと揶揄される対象です。なぜ、一般常識がないのか。それは、様々な原因があるでしょう。二つの良く言われている原因とその対策について今日は考えていくことにいたしましょう。

まず、「なぜ常識がないと言われるのか?」と言うことについて見てみましょう。

一つには、裁判官になった後は一般人との交流も制限されるということがあります。当然、そうなりますと、知り合いは仲間内の人間だけとなります。野鳥の会に入るという許可もおりなかったなんていうことが現実にあるんですよね。私人として存在しながらかなりの制限を受けるわけです。これは「人が人を裁く」ということから、恣意的判断を排除すると言うことが非常に重要であり、ある程度は仕方ないとも言えると思います。

二つ目には、裁判官が司法試験という制度の特異性にあるという考え方があります。司法試験の合格率は3%程度で、非常に難易度の高い試験と言われています。それに合格するために、一般社会と隔絶されてしまうくらい勉強をしている人が多いわけです。しかも、かなりの長期間にわたってですよ。その入り口の門が、一般常識が欠如することを助長してしまう試験と言えるでしょう。なぜ、このようなことになったかと言うと、これは、法律に精通した人間を作ることに主眼を置いたためです。法律に事件を当てはめると言う法作業ができる人間を作ったものと言えるわけです。

ここで、裁判の流れをヒジョ〜〜〜〜〜〜〜〜に簡単にして見てみる事にしましょう。刑事でも民事でも今日見ることでは大して変わらないのですが、とりあえず、刑事裁判ということにしておきましょう。無理はありますが、僅か3段階でまとめちゃいます。

被告人の弁護士と検察官がお互いに意見陳述をして、お互いの正当性をアピールする。
 

裁判官が事実認定をする。
 

裁判官が法律に照らし、その事実に基づいた判決を決定する。

つまり、今までの制度(裁判官が一般常識を知らないといわれる二つの要因)では上記表の3ができる裁判官を作ることが目的だったわけで、2に関してはあまり重視されなかったわけです。

と〜ぜんのように、こりゃいかんだろうと、メチャメチャ時間がかかりましたが国も言い出したわけです。そして、色々な対策が国政レベルで論議されるようになったわけですね。

この対策として、上記表の2の部分を重視して行くようになるわけです。これも二つに分類できます。

1、裁判官の一般常識を向上させ、裁判官の事実認定と一般の事実認定を近づける。

a、司法試験制度を改正する。
 これはすでに結構考えられています。2005年から法曹大学制度ができる可能性が高いです。これは、大学院に法曹を作る大学を作りまして、そこを卒業すると司法試験制度合格と同じような資格を与えると言うものです。社会とのチャンネルが司法試験受験よりは多いため、多少はましになると思います。ただし、その大学に入るためにまた試験勉強するとかで大して変わらなかったりもしそうな気もします。

b、裁判官になった後の一般交流を多少緩和する。
 裁判官でもかなり自由に交流をできるようにすると言うことも考えられるでしょう。ただし、恣意的判断が入る危険性が高いので、やはり、ある程度のガイドラインは必要でしょうね。

2、事実認定をするのを裁判官以外にすることによって、一般の事実認識が入るようにする。

陪審員制度を取り入れる
つまり事実認識を裁判官がやらなくなるので、裁判官は常識がなくてもいいわけです。つまり、裁判官は法律に当てはめをできるコンピューター役で、何でもいいわけですね。アメリカなどではこの制度が使われています。確かに、一般の事実認識が入ると言う意味ではいいかもしれませんが、それが入りすぎると言うこともありえます。例をあげるのならばO.J.シンプソンです。どう考えても有罪ですが、恣意的判断が入るあまり、陪審員は正確な判断ができなくなってしまうことが現実にありました。

それぞれに良し悪しはありまして、どれが一概に良いとは言えないんですよね。まあ、正しい判断がされ、そんなところで、悲しい思いをしないでいい人が増えるようになればいいですね。

久々に真面目な法律ネタでした♪


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